私の婚活体験記 1  全ての行動はきっかけから

あこや

当時のあこや、36歳。典型的リアルが楽しすぎて行き遅れた拗らせ女。 父は単身赴任、兄は既に家庭持ち。病弱な母と実家で2人暮らし。
平日の昼はそれなりの企業でしっかりと事務職で働き、
休日になると遠征、聖地巡り、イベント、好きな旅行に命をかけていた
ただのオタクなOLだったよ。(詳しい事は自己紹介ページ見てね)

婚活という行動に移すきっかけとなったのは、母の死に至るであろう重大な病でした。

とある夏の暑い日。
一時帰国していた寡黙な父の口から母の病を伝えられて思ったのです。

母がこの世を去ってしまう前に結婚をして安心させたい と。


頭の片隅にはいつものまま結婚しなくてもいいの?いつ結婚するの?という俯瞰から見つめる私がいました。
しかし母の病が発覚するまではそんな自分に無理矢理蓋をして、今が楽しければいい、今が最高なのだからこのまま気楽な生活が続けばいいと思っていたのです。

実際好きな事を好き放題できる生活ができたのは、実家暮らしという点が大きかったと思います。
父は私が大学生になってから、海外へ単身赴任となりました。元々病弱な母親はついていくことができず、大学を卒業した私は母を一人にさせるわけにもいかず、両親から望まれて実家暮らしの生活を36年間続けていました。

…でも婚活界隈ではよく言われちゃいますよね。
アラフォーで 実家暮らしで 独身は ほぼ地雷と。

あこや

…………事情があって実家暮らしをしている人もいるんだけどな

何故地雷と言われるかというと親の臑を囓って、ろくに家の事もできず、自立心が無いと思われるようです。
全否定はしませんが、私の場合は母が入退院を繰り返していたので、家事ができない事はなかったし、父が帰ってきたらいつか一人暮らしできればいいな、とは思っていました。

話を戻して母の病の事。
私が大学を卒業して、働き出してからは重度の更年期障害、肝炎を経て、癌が発覚。
幾度の手術や抗がん剤治療を繰り返し、私が36歳の夏に肺腺癌が発覚、ステージ4近くとかなりの進行具合。
仕事が大好きでずっと海外住まいだった父が帰国し、その父から事実を伝えられた私は思いました。

このままでいいの?

幸いにも職場に恵まれ、人間関係も良く、仕事は大変なことはあるけれど、待遇も環境も良い。
仕事をして疲れて帰っても食事はある、掃除洗濯もそこそこでいい、自由に行動できる。
土曜日の夜に朝方までゲームをして、長期休暇にはオタク友達と聖地巡り、コミケにも参加し、
リアルが充実していたのは間違いないです。その生活がずっと続くと思っていました。

いい人、いないの?

会話の合間に時折呟いていた母親の言葉は間違いなく、本心だったと思います。

当時の私は結婚というものにぼんやりと憧れに近いものがあったといえ、
充実しすぎていた現実が全てを覆い隠していました。

あこや

オタク活動第一で、縛られるのが嫌いで、ましてアラフォーの私を好いてくれる人なんて現実にはいないよね。そう思っていたんです。

そして、何より私は恋心というものはご無沙汰でした。その歴30年。

拗らせすぎやろ!と思われそうですが、二次元キャラには秒で落ちるのに、現実の男性には小学1年生以来まともに好きになった男性はいませんでした。ちょっと、いいかも、と思ったり、キュンとした瞬間はありましたが、恋に落ちるまでは至らず時は流れました。

全く男性とお付き合いしなかったわけではなく、なんとなく付き合ったというのは2回ありますが、そんな中途半端な関係は長続きするわけがなく、数ヶ月で終了。あと、男性に対する不快なトラウマが植え付けられた経験もあるので、リアルの恋愛への憧れは無くなっていました。

36歳、秋が近づき涼しくなったとある夜、いつもはパソコンの前に座ってやる事といえば、夏コミが終わって一段落したのでサイトにUPする為に推しジャンルの小説を書いたり、オタ友達とのチャットを朝まで楽しんだりする事でしたが、


その夜は違いました。


「アラフォー」
「婚活」

今まで自分が検索をかけた事が無い文字列。
エンターボタンを押した後に広がった未知の世界に、私は衝撃を受けたのです。

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